
今日は歯のお話から少し離れます。
精神的な学問として、僕の知識、考え方をお話しますね。
錯覚と自己暗示。これが感情を支配していると僕は考えてます。
今日はその1回目、歯の話ではなく、わかりやすく恋愛論。
感情の多くは自己暗示に似ています。
人を強く思うこと。
それは良いこともあれば悪いこともあります。
人を好きになることは、良いことといえます。
人を恨む、ねたむことは悪いことといえます。
人が暗示にかかるときは、何かのきっかけがあります。
たとえば、人を愛するということは、言葉で表現することが難しいことです。
たとえば、彼氏、彼女のいない方に好みのタイプを聞くと、よく、かっこいい人とか、優しい人とか、お金持ちとか。。。
お金持ちは別として。。。
かっこいいとか、やさしいとか。
これって、一人ひとり、尺度が違いますよね?
というか、かっこいい、やさしいにはあまりにも多くの意味が含まれすぎていますよね。
ちょっとロジックで表現していくと。。。
ひとめぼれの対義語ってなんでしょうか?
ひとめぼれの反対の言葉。
出会ったときに良い印象を持ってそれが好きという感情であれば、それがひとめぼれだとします。
出会ったときに悪い印象をもって、それが嫌いという感情であれば。。。
それは生理的に会わないかな?(笑)
では、最初には好きという感情ではなくて、何度か会ううちに好きになることはなんていうのでしょうか???
普通の恋愛?(笑)
でも、恋愛って、ロジックじゃないですよね?
つまり、感情であるとすると、それは暗示にかかるきっかけと言える気がします。
そして、それはコントロール出来るようで出来ないものではないでしょうか?
人を好きになることはすばらしいことだし、愛は献身だと思うと、そのきっかけは何であれ正義であると思います。
ひとめぼれはありだと思います。感情の変化を与える自己暗示としては抜群のトリガーです(笑)。
ただ、そのあと、「あちゃー。まちがえちゃった!」と思うリスクはあるかもね(笑)
でも、それも感情の変化を与えるトリガーによるもの。
ひとめぼれした後、暴走せずにゆっくりと片思いを楽しむ余裕があると、たぶん「あちゃー」は避けられると思います(笑)
いずれにせよ、恋は「するもの」ではなく、「落ちるもの」です。
「落ちた」時には盲目。
すべて「あり」になってしまうと思いますが。。。。
次回はこの錯覚と自己暗示の応用編、素敵な歯医者の選び方を久しぶりにお話しますね!